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で、最終回という事で、その最後の最後ぐらいは視てやろう、と。
視聴してみるとビックリするほどに絶望的で、物語としての整合性さえなく、ただただ現在の中学校の荒廃っぷりを並べられての最終回でした。以下、粗筋ばんばん、いきます。
3年B組の良平という男子生徒は地獄のような学園生活を送り続けている。
学校の屋上。良平は上履き� ��入れられたミートスパゲティを食べている。
「残したら、殺すからなっ!」
と同級生にすごまれると、良平はスパゲティを手でつかんで、命じられるがまま食べている。
卒業式が迫っている。良平は卒業式当日に自殺を決行して、その自殺をもっていじめをしてきた者たちへの復讐を果たそうとしている。
良平の生徒手帳には、ビッシリと、これまでに受けたいじめ内容、また、誰がいじめをしたのかという加害生徒の実名が記入されている。「某月某日、誰々から太腿を蹴られる。30発」という具合に、実に細かく記入されており、更には自殺する方法を検討したような走り書きがある。
良平は卒業式に自殺を決行する意志は固い。その復讐劇をフィナーレとして人生を終わらせることに、最早、迷いがないか� ��、いじめにも笑って耐えられる。
シーンは、鉄橋の下の河原。
加害者の生徒らは、橋脚の前に良平を直立させ、その橋脚にボールを投げつけている。3〜4人の男子生徒らは良平に幼馴染の女子生徒のケータイ電話を盗んでくるように命令する。良平が断ろうとすると、良平にボールがぶつけられる。絶対的従属関係の中で、良平に「断る」という選択肢はない。
その帰り道、良平は幼馴染の女子生徒の元へ赴き、ケータイを盗もうとするが、罪悪感から躊躇してしまう。
シーンは、学校の屋上。
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良平は前日の男性生徒らに幼馴染の女子生徒のケータイを盗みそこなった事を言いワケする。ヘラヘラと、まるで仲間同士のように「しくじった」と告白する。一瞬、男子生徒らは良平のしくじりを容認するかのような態度をとるが、次の瞬間には一人の大柄な生徒が良平を羽交い絞めにすると、外の生徒らが寄ってたかって良平のベルトに手をかけてズボンを下ろし、更にはトランクス下着をも摺り下ろす。そして一人の生徒が黄色いケータイで、下半身を丸出しにしているであろう良平のブザマな姿を写真撮影する。
そして念を押す。「明日は絶対に幼馴染の女子生徒のケータイを盗んで来い」、と。
翌日、良平は幼馴染の女子生徒からピン ク色のケータイを盗み出すことに成功する。
シーンは、川沿いの空き地。
命令された通り、良平はピンク色のケータイを献上する。その場に男子生徒だけではなく、複数の女子生徒もいる。幼馴染のケータイを盗み見したかったのは女子生徒らで、その女子生徒らの要望に応える為に男子生徒らが良平にケータイを盗み出させていたことが分かる。しかし、実際に盗み出したケータイを調べてみても、別に何もない。ただただ、意地悪をしたいだけだったらしく、今度は良平に、そのケータイを川の中へ投げ捨てるように命じる。良平は言われるがまま、ピンク色のケータイを川に投げ捨てる。
一方、ケータイを盗まれた幼馴染の女子生徒は、良平の生徒手帳を拾っている。良平の生徒手帳を読んでしまった女子生徒は、卒� ��式当日に良平が自殺を決行する気であることに気付き、担任教師に連絡する。担任教師役は風間俊介演じる神沢先生である。
風間俊介はTBSの「3年B組金八先生」のシリーズ中、最終的に自分の母親を刃物で刺してしまったカレである。パトカーの赤色灯が点滅して、賛美歌のアメージング・グレイスが大音量で鳴り響いた印象的な「刺してしまった少年」を演じた俳優。
神沢は自殺を思い止めようと良平の家に家庭訪問をするが、埒が開かない。良平は、強引に神沢を駅まで送ると言い出す。
シーンは、夜中の地下道入口。
神沢は自殺を思いとどまるように説得を試みるが、月並みな言葉しか言わない神沢に良平の怒りが爆発する。良平は
「ママに(自殺しようとしていることを)しゃべったら許さないか らなっ!」
と牽制し、それに神沢が応じると、とうとうカッターナイフを抜く。そして「今、ここで死んでやるっ!」と言って自分の手首を切りつける。慌てて神沢がカッターナイフを取り上げるが、良平が本気で自殺をしようとしていることを確信する。
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シーンは、教室。
卒業式まで残り3日である。神沢は迷うことなく、全生徒の前で良平が自殺しようとしている事を告げる。放課だろうか教室から出ようとしている生徒らに着席を呼び掛け、神沢は教壇の前で鎮痛な面持ちで、おもむろに語り出す。
「良平が………良平が、死のうとしている…」
(一瞬の沈黙の後、クラスメイトらはアハハハと失笑が洩れる)
6〜7秒、渇いたクラスメイトらの笑い声が続く。
その渇いた教室の笑い声に戸惑う神沢。神沢は眉間にタテ皺を寄せながら、絶望的なレベルの生徒たちを一喝すべく、精一杯の声を張って、そのセリフを吐き捨てる。
「先生、今、なにか面白いこといったかなぁっ� �」
明らかに本気で怒っている声で、その迫力に気圧されて教室は静まる。
「良平。あいつ、今、死んでるかも知れないんだぞっ!」
一人の太った男子生徒が神沢に言い返す。
「先生、ホントにそんな事、信じてるの?」
今度は一人の女子生徒が言い返す。
「そうだよ。そんなに簡単に死ねるワケないジャン」
中学生らは一度は神沢がつくったシリアスな空気を壊しにかかったが、更に神沢がチャラい、緊張に耐えられない中学生を押し返して、武田鉄矢ばりの長い説教シーンに入る。
「中学生という時期は、人生の中で、一番、ぐちゃぐちゃで、一番、醜い時期だと思う。でも、大切なのは、ちゃんと醜さと向き合うこと。醜い自分を許してあげること。醜い自分と、ちゃんと戦うこと� �良平は、今、必死に自分の醜い部分と向き合ってる。人間は自分の醜い部分に向き合ったら、みんな死にたいって思う。不思議なことじゃない。死にたいって人間を嗤わないで欲しいッ! 一生懸命生きている人間を、嗤ったり、バカにしたり、いじめないで欲しい。―――みんなには、そんな人間になってもらいたくないと思っている....」
粗筋は、この先もありますが実質的に、ここらあたりで物語は完結です。この風間俊介が武田鉄矢になれたかどうかというシーンに続いて、告白コーナーへ。中学生日記はホンモノの中学生が演じている番組で、同番組らしく、出演者が本気でいじめ体験の告白を始める劇中ナマ告白。
ドラマ本編ではいじめっこ役の男子生徒が自らのいじめられた体験を鼻の頭を赤くして語る。それ� �続いて女子生徒の一人が鼻水をすすりながら、自らのいじめ体験談が語られる。このシーンは脚本ではなく、演じている中学性らのリアルないじめ告白が、ドラマの中に挿入されたと思われる。(16日付の朝日新聞「試写室」参考)
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職員室に神沢が戻ると、教師Aが
「全生徒の前で、(良平が自殺しようとしていることを)しゃべってしまって良かったんでしょうか?」
と神沢の対応に疑問を呈すると、教師Bが神沢を庇う。
「教師は縛られすぎてるんですよっ! 怒鳴ることも、殴ることも認められていないっ!」
自殺は起こらなかったが、反省もなく卒業式を迎える。つまり、解決らしい解決はせぬまま、「中学生日記」は幕を下ろしました。
さて、感想ですが、先ず物語として未完だし、ドラマとしても未完だし、整合性があるとは言えないような作品でした。ですが、そこに並べられた素材は、どれもこれも絶望的とも言える荒廃した環境を抉り出していた気もしました。< /p>
「いじめは、なくならないと思います」というセリフもさんざんあれば、教師は自殺志願者である生徒(良平)から
「先生なんて何にも出来ないだろ。何も出来ないって認めろよっ! いじめはなくらない。そうだろ? 認めろ、認めろよっ!」
と、教師が実際にイジメという現実に対しては全く無力であることを突き詰めてられ、それに返答できないというシーンまでもが含まれている。返答が出来ない神沢。ここで神沢に感情移入すると、凄いシーンであることに気づかされる。神沢もまた「いじめがなくすことが不可能である」と理解できてしまっている。
若手教師・神沢が人間としてどうあるべきかという説教に迫力はありますが、それでいて、「こうあって欲しい」とか「そんな人間になって欲し� �ないと思っている」という具合の人間的な説教には、説得力があるようで説得力があるとは言い切れない…。語尾は「欲しい」ですし、「いじめはなくならない」という現実に直面してしまっているワケですから…。
ですが、この「中学生日記」という番組って、確かに、こういう投げっぱなしジャーマンスープレックスなところこそが魅力でもあって、きちんとストーリーが紡げてしまったら紡げてしまったで嘘くさくなってしまうんですよね。一応は「ごめんなさい」という具合に謝罪をさせて、めでたし、めでたしとすれば、視聴者は腑に落ちるのかも知れませんが、実は、現実問題として一部では、そういうキレイごとは超越されてしまっている。
パンツ下ろしなんてのは珍しくもない実話だろうし、その裸をケータイで撮影することもそこそこ実話だし、万引きなどを命令するのもそこそこの実話であろうし、ホントは、それぐらい荒廃してしまっている可能性がある。教師の前、オトナたちの前では嘘をついて仲直りし、後で、再びいじめを再開するなんてのもホントでしょう。この「中学生日記」の最終回というのは、ドラマ性は殆んど無視して、それを列挙して見せたというのが凄い最期だったな、と感じました。
一応、中学生日記でも、「キミは一人じゃない」という言葉をメッセージとして添えて調整してありますが、良平という生徒が「決して一人じゃない」なんていうのは、やっぱり、無理がありますよねぇ…。無理 矢理に、そうするしかなかったのだろう、と。
まさか、「13日の金曜日」のジェイソンばりに血で血を洗う惨劇の卒業式として描けない。或いは、卒業式にいじめ自殺が決行され、それでもクラスメイトらは反省することなく嘲笑したままドラマが終わって、「どうも50年間の永きに亘り、ありがとうございました!」というエンディングにするワケにもいかない。
「死ぬなんてよせ」というセリフと、「死んでみなさいよ」というセリフも織り交ぜてありましたが、その最後に「キミは決して一人じゃない」と結んだのなら、ちょっと残念ですよね。メッセージなんて無視しちゃった方がいい。
で、その点を考慮すると、風間俊介さんのセリフは悪くなかった気がする。中学生なんてものはホントは醜い事を肯定し、その醜 さに向き合えば死にたくなることさえ肯定してみせた点は、良かった気もします。なまじ、人は美しいものだとか、中学生は穢れていないだとか、世の中は腐っていないと言い張る方が、実は、人々を苦しめている気がするんですよね。実際に、これだけ腐敗していながら、世の中はきれいだと言い出せば、本当に苦しんでいる人の孤立が深まってしまう。「無責任なことを抜かすなっ」て思うかも知れませんが、仏教にしてもキリスト教にしても意外と、絶望的状況を認識するところから教化しているようで、いたずらに《自分たち》という「その他大勢」の罪をないものだとする風潮の方が残酷なのかも知れませんよね。
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