蒸気機関車 - Wikipedia
蒸気機関車(じょうききかんしゃ)とは、蒸気機関によって動く機関車のことである。日本では Steam Locomotive の頭文字をとって、SL(エスエル)とも呼ばれる。
蒸気機関車、または蒸気機関車が牽引する列車のことを汽車とも言う。ただし、地域や世代によっては、電気で動く物も含めて全ての列車のことを「汽車」と呼んだり、国鉄・JRを「汽車」、路面電車や私鉄を「電車」と呼んで区別したりする場合がある(このような「汽車」の用法については「汽車」を参照のこと)。また、明治時代には蒸気船に対して陸の上を蒸気機関で走ることから、「陸蒸気」(おかじょうき)とも呼んでいた。第二次世界大戦の頃までは「汽罐車」(きかんしゃ)という表記も用いられた(「汽罐」はボイラーの意)。
[編集] 蒸気機関車の原理
蒸気機関車は湯を沸かして発生した蒸気を動力源として走行する。
ここでは主に世界各国で広く使用されていた、煙管式ボイラーとシリンダーを使用するタイプの蒸気機関車について、本物の機関車の切断展示物(インドで使用されていた蒸気機関車A-48、1891年製)および実際に使用されている機関車東日本旅客鉄道(JR東日本)C61 20号機の写真を使って順次説明する。
一般的な蒸気機関車を走らせるのに必要な機構としては以下のものがあげられる。
- 石炭等の燃料を効率よく燃やして、高温の燃焼ガスを作る火室。
- 火室で発生した燃焼ガスの持つ熱エネルギーを利用して水を沸騰させ、高温高圧の蒸気を作るボイラー。
- シリンダーに送る蒸気の方向や量を制御する各種弁装置。
- 蒸気のエネルギーを往復運動のエネルギーに変えるシリンダー。
- シリンダーの往復運動を回転運動に変換し駆動力を発生させるロッドと動輪。
-
インドの国立鉄道博物館にある蒸気機関車A48の切断展示物
-
JR東日本のC61 20号機
[編集] 火室
下の写真が燃料を燃焼して高温のガスを作る火室の内部である。写真では見えないが、火室の底(床)部分は燃え滓の灰が落ちるように格子状に作られている。
蒸気機関車の出力を決める第一の要因は「どれだけ大きな火を燃やせるか」であり、その指標として火室の大きさを表す火格子面積が使われる。火格子面積は狭軌が一般的であった日本の場合、明治初期のころの機関車で1m²以下、それ以降順次増大しD51形で3.27m²まで大きくなった[1]が、火室への石炭供給は人力(シャベル)による投炭であった。さらに大型(日本最大)のD52形では火格子面積は3.85m²となり、人力による投炭の限界に近く、就役後に機械力による自動給炭装置(ストーカー)が装備された。ちなみに標準軌を採用した南満州鉄道で特急列車あじあ号を牽引したパシナ型機関車の火格子面積は6.25m²で、ストーカーが装備されていた。また、日本と同じく狭軌を標準としていた南アフリカでは低賃金の黒人労働者を投炭手として複数乗務させ、彼らに同時投炭させることでストーカーを装備せずに火床面積を日本の機関車よりも大きくとるケースが存在した。
写真の機関車の火室は、左右の台枠間に設置したいわゆる狭火室タイプであるが、より大型の機関車では台枠の幅(軌間)より大きな広火室タイプの機関車も作られた。
なお、火床面積は燃料の品質さえ良質で十分な火力が得られるならば無理に拡大する必要はない。強力機ではそのボイラー容量に見合った火力を得るため巨大な火室を備えるケースが多いが、高カロリーの良質な燃料を常用できる環境にあった鉄道、例えばイギリスのグレート・ウェスタン鉄道の機関車では、4073型(キャッスル型あるいはカースル型とも。軸配置2C、過熱式単式4気筒、狭火室)のように、狭火室のままで他社が保有していた同クラスの機関車を上回る高性能を発揮する例[2]が少なからず存在した。総じて、広火室は低品質の燃料でより大きな出力を得る手段として利用された。石炭が燃える際の炎は、石炭の成分が分解・蒸発しながら空気中の酸素と反応しているため、燃焼ガスの温度は石炭自体から少し離れたところで最高となる。このため火室内には燃焼ガスの流れを迂回させて、距離を稼いで最高温度の燃焼ガスをボイラーに導くための邪魔板(赤く塗られた斜めに設置された板)がある。火室の前後左右と上部は水で囲まれており、ここもボイラーの一部となっている。火室はたくさんのボルトで頑丈に車体に固定されている。
[編集] ボイラー
火室で作られた高温の燃焼ガスは、たくさんの細い管(煙管、下左の写真では水色の細い管)に導かれる。煙管の本数や管のサイズは機関車の出力性能に大きく関与するが、本数は50本から200本、管の直径は50mm前後である。煙管の周囲は水で満たされており、燃焼ガスの熱エネルギーを受けて蒸気が発生する、いわゆるボイラーである。発生した蒸気は上部の蒸気溜めにいったん蓄えられ加減弁で流量を調整され、主蒸気管(ボイラー上部の左に水平に走る水色の太いパイプ)に送られる。ボイラーの上部には蒸気圧が高くなりすぎたときに蒸気を逃がして圧力を下げる安全弁や、汽笛が装備され、また蒸気が発生し使用され続けるとボイラー内の水が減っていく為、ボイラーに水を注水する為の給水ポンプやインゼクタ(両者とも動力� ��にボイラーの高圧蒸気を使用)を装備する。中・大型機では低い温度の水を注水する事によりボイラー内の水が温度低下を起こし蒸気圧が下がるのを防止する為、給水温め器(気筒室や補器類で使用された高圧蒸気を使用して水に熱を伝える熱交換器)を経由してボイラーに注水する。
切断展示物のボイラーはシンプルな飽和蒸気式のタイプであるが、1910年代以降の大型機関車は、よりエネルギー効率の優れた過熱蒸気を使うようになった。過熱式蒸気機関車には通常の煙管のほかに直径が2倍以上の大煙管が設置されている。ボイラーで作られた蒸気は一旦蒸気溜めに貯めらる。そこから加減弁を通った蒸気は主蒸気管(乾燥管)を通りその後過熱室の前室(飽和蒸気室)から大煙管内に設置した細い過熱管に導き、大煙管の中を通して再度加熱して高温・高効率の蒸気を作り乾燥させ過熱室の後室(過熱蒸気室)に戻り主蒸気管を経由して蒸気室に送られる。下にインドのニルギリ山岳鉄道で使われていたアプト式蒸気機関車37385号機の煙管と大煙管の様子を煙室扉からみたものを示す、特徴的な構造がよくわかる。
ボイラーの性能を表す指標として、蒸気圧力、飽和式か過熱式か、煙管・大煙管の太さと本数または煙管の総表面積(熱伝導面積)などが使用される。蒸気圧力は明治初期の機関車で8kg/cm²前後、その後順次増加し、D52形では16.0kg/cm²となった。諸外国のSLでは20kg/cm²が実用化されていた。圧力が高いほどエネルギー効率は上昇するが、蒸気漏れなどに対する対策に高度な技術が必要となる。
-
A48の煙管と上部にある蒸気溜めと加減弁
-
過熱式蒸気機関車の煙室、通常の煙管のほかに太い大煙管とその中を通る過熱蒸気管、右端に見えるのが煙突下部
-
C61 20号機の給水ポンプ
-
青梅鉄道公園に保存されているD51 452号機の運転室にある各装置類(各部の詳しい説明は画像をクリックしてください)
[編集] 弁装置・シリンダー・煙室・コントロール装置
煙管を通った燃焼ガスと煙は、煙室にたまる。ボイラーで作られた蒸気は弁装置を通ってシリンダーに送りこまれる。シリンダーで使われた蒸気は残圧を有しており、煙室内を通って煙突に吹き上げられる。この時煙室内にたまった煙も一緒に吹き上げ、煙管からの燃焼ガスを吸い出して火室内に空気を送り込み石炭の燃焼を助ける働きを持つ。機関車をスムーズに走らせるためには、シリンダーに送る蒸気の方向を適切にコントロールする必要があり、下記弁装置による分類 にあるように様々な弁装置が考案されている。出力の制御は運転室にある加減弁ハンドルと逆転機ハンドルによって制御され、加減弁ハンドルは蒸気ドームにある加減弁に引棒で繋がっており、動かす事により蒸気ドームから乾燥管経由で蒸気室に繋がる主蒸気管に流れる高圧蒸気を制御する。逆転機ハンドルは逆転棒と繋がっており、その先の釣りリンク腕と釣りリンクを経由し心向棒と繋がっていて、さらに心向棒から加減リンクを通り蒸気室の弁と合併テコと結びリンクでクロスヘッドに繋がっている。この機構より逆転機ハンドルを停止時または走行中に回すことにより、蒸気室の弁を制御して気筒室に入る高圧蒸気を制御して、気筒室の中のピストンが時々の状況に応じた速度に対応した往復運動をするようになっている(出発� ��は気筒室に入る高圧蒸気を多くして回転力を大きく低回転で動輪を回し、速度が上がるにつれて気筒室に入る高圧蒸気を少なくして回転力を小さく高回転で動輪を回す)。前進・後進は逆転機ハンドルを回すことにより心向棒が加減リンクの中央(ヒンジの部分)から下に下げると前進、上に上げると後進となる(前後進の切替は停止時に行う)。また惰性運転時には加減弁を完全に閉じ気筒室に蒸気がまったく入ってこない状態にする(絶気運転とも呼ぶ)、その他に気筒室に溜まった水を排出するシリンダー排水弁や、気筒室の両側をバイバス管で繋ぎその中間に弁を設置して絶気運転時に弁を開き、シリンダーの前後の空気の抵抗を最小にするバイバス弁がある。機関車の出力は最終的にはシリンダーの大きさ×数×蒸気圧力で決ま� ��。カタログではシリンダー直径×行程で示される。蒸気機関車の設計は、シリンダーで使用される蒸気量と、蒸気を作る能力(火室やボイラーの性能)がマッチするよう考慮される。
-
煙室の構造、シリンダーで使われた蒸気は下部の白いパイプから煙突に吹き上げられる。煙突入口には火の粉よけのメッシュが装備されている
-
A48のシリンダー部分の切断展示、ピストンは前端位置にある。
-
C61 20号機の弁装置(ワルシャート式)(各部の詳しい説明は画像をクリックしてください)
-
C61 20号機の上部にある加減弁引棒と加減弁につながる加減弁クランク。
-
[編集] 動輪・前輪・従輪
気筒室で作られた往復運動は主連接棒(メインロッド)を通じて動輪に伝えられ、ここで最終的に回転運動におきかえられる。主連接棒と連結されている動輪を主動輪という。主動輪と他の動輪は連結棒(コネクティングロッド)で連結されている。また左右の動輪は車軸で繋がっており連結棒を介して90度の角度でずらして主連接棒と連結されていてそれにより片方の気筒室内のピストンが前端または後端の死点に達してピストンの力がゼロになっても、もう片方のピストンの力が最大になるように動力伝達されている。
動輪以外に機関車に設置される車輪として前輪と従輪がある。前輪は動輪の前に設置され、カーブでのスムーズな方向転換に有効であり、機関車重量の一部を負担する効果もある。従輪は動輪より後ろに配置され、機関車後部の重量を受け持つ。大きな火室を必要とする高出力機では、小さな従輪の上に幅広の火室を装備する広火室タイプが採用された。
蒸気機関車の最高速度は動輪の直径(動輪径)で決まる。すなわち巨大なクランク構造となっている蒸気機関車の動輪回転数は400rpmが限界[3]とされており、実際に各国の蒸気機関車の最高速度もほぼこの限界値近くにある。高速度が要求される蒸気機関車は当然大きな動輪径が設定される。
蒸気機関車は大きな動輪を鉄のレールの上で走らせるためスリップ(空転)を起こしやすい。重量のある列車を牽引する際に空転を防ぐためには動輪とレールの粘着性を上げることが必要だが、手段としては全動輪にかかる重量を増やす方法がとられる。即ち動輪1対あたりの重量(軸重)を増やすか、動輪数を増やして動軸上重量を増やすの2種類の方法がある。動輪および前輪と従輪の配置や数(軸配置)は機関車の性能を決定する重要なファクターである(車軸配置参照)。軸重の増加については軌道の強化が必要であり、動輪数を増やす場合については機関車の長さの問題、急カーブ通過時の問題などが発生する。動輪数を増やしてカーブ対策を行った方式として、前後に複数の駆動システムを有するマレー式機関� �がある。
[編集] 補機類
前記したボイラーに水を注水するための給水ポンプがボイラー横に搭載される他、蒸気機関車自体や牽引する客車のブレーキ装置を作動させる圧縮空気を作る目的でボイラー缶胴部横や煙室前面などにコンプレッサーを搭載する(日本では1920年代以後に設置)場合がある。コンプレッサーで作られた圧縮空気は配管を通してボイラー横の元空気溜め管に蓄圧される。また、電気式前照灯を使用するなどの目的でタービン発電機がボイラー上部の運転室側に搭載されることも多い。コンプレッサーもタービン発電機もボイラーから供給される高圧蒸気で作動し、給水ポンプの水とコンプレッサーの圧縮空気は調圧器で圧力を調整されて使用される。運転室には弁が付いた蒸気配管がボイラーから引き出されており、これらの弁の操作により 各種補機を作動させる。
-
C61 20号機のタービン発電機
-
C61 20号機のコンプレッサー(空気圧縮機)
[編集] 長所
- 多種類の燃料が使える。高熱量のものが望ましいが、石炭に限らずおよそ可燃物なら何でも使用可能。石炭以外に、石油の豊富なインドネシアなどでは重油を使用しており、過去には薪、草、バガスなどの例がある。
- 耐用寿命が長い。通常約30年程度。それ以降の運転は大規模な修繕や部品交換(オーバーホール)が必要とされるが、電気機関車やディーゼル機関車に比べて、延命が容易。世界遺産でもあるインドのダージリン・ヒマラヤ鉄道で使用されるイギリス製の蒸気機関車は、最古のもので110年にわたり使用されている。また車体そのものは動態保存が目的だが、車籍を有し、現用の電車・気動車と同じ鉄道路線を走行(営業運転)することのできる機関車として、日本のJR九州が保有する58654(8620形)があり、これは1922年(大正11年)の製造から約90年が経過している。さらに、正式な鉄道路線ではないものの、博物館明治村で動態保存され、施設内で実際に乗車できる客車を牽引する旧名古屋鉄道12号(元国鉄160形蒸気機関車165号)に至って� ��、1874年(明治7年)の製造から135年が経過している。
- 電気運転の場合、戦時・テロ・災害などで発電所・変電所が破壊されると全列車が運行できなくなるが、蒸気機関車であれば線路が無事なら走行できる。戦前の日本の「弾丸列車」はその観点から大部分を非電化の計画だった。
- 一時的な過負荷では故障しない。戦場における軍用鉄道などではこの利点がある。
[編集] 短所
- 機構が簡単だが調整が難しく、雑な調整ではうまく走れない。したがって、修理作業に熟練を要する。もっとも工作精度の点では内燃機関よりも低くとも問題なく、むしろ一定以上の高精度で組み立てると動作しない場合すらある[4][5]。
- 電気機関車やディーゼル機関車より燃費効率が悪く、牽引力も弱い。蒸気機関車の熱効率は10%程度といわれ、ディーゼル機関車の熱効率35%程度に比べてかなり劣る[6]。
- 高速運転ができない。一般的な構造を備える蒸気機関車の速度は動輪の直径とシリンダーの往復速度に比例する。シリンダーの往復速度を速く、また動輪径を大きくするほど高速運転が可能となるが、シリンダーの往復速度の上限はシリンダーとそれを支える台枠の剛性や強度、それにシリンダーやロッドなどの慣性質量に依存するため、通常の構造では一定の速度以上への引き上げは難しく、また動輪径が軌間(レールの幅)を大幅に越えると一般に重心が高くなるため走行が不安定になり、危険である。蒸気機関車の最高速度は、狭軌 (1067mm) では1954年に日本のC62形が時速129kmを記録し、標準軌 (1435mm) では1936年にドイツの、1938年にイギリスの蒸気機関車が、それぞれ大直径の動輪により時速200kmをわずかに超えた速度を記録している。電気運転やディーゼル運転は、もちろんはるかに高速での走行が可能である。
- 始動に時間がかかる。煙缶式ボイラーが完全に冷え切った状態の場合、火入れ、蒸気の発生に数時間前から作業開始する必要がある。また走行終了後も石炭ガラの廃棄などの作業が必要。
- 電気機関車やディーゼル機関車の場合1人で運転可能であるが、蒸気機関車の運転には、走行操作をする機関士と、ボイラーに水や石炭を送る操作をする機関助士の2人が必要となるため、2倍の人員を必要とする。後年、自動給炭が可能なものも登場したが、機関助士の乗務を不要とするには至っていない。
- 高温を発するボイラーを稼動させるために、運転士(機関士、機関助士)が過酷な労働を強いられる。とりわけ夏季の高温環境における石炭投入などの重労働、冬季の寒気や雪の吹きさらしによる肉体的負担が挙げられる。
- 性能が条件により変化し、一定しない(燃料の発熱量、タンク機関車の場合は燃料と水の使用に伴う軸重の変化も影響する)。
- 有害な煤煙・ガスを排出し、運転士、乗客、沿線住民いずれにとっても深刻な問題となった。
- 煙の火の粉が線路周囲の森林や草・家屋などに燃え移ることにより、時として火災を発生させる。藁葺きや木の屋根が普通であった時代には火災が多発し、これによる鉄道忌避伝説もある。
- 保守に手がかかる[5]。
- 摩耗部分が多い。
- ボイラー部などの熱・高圧疲労・耐用年数による老朽化。
- 水垢の蓄積。
- 燃料と水を補給する必要があり、大型機では約100kmごとに補給が必要。そのため、駅や機関区などに水、石炭などの補給や、使用済みの石炭ガラ処理用の大型設備が必要となる。
- 設計上逆向き運転が考慮されておらず、転車台・デルタ線・袋状の小さな環状線など方向転換のための設備を必要とする。ただし、後年にはC11形やC56形など逆向き運転が容易な形式も出現した。
電気機関車・ディーゼル機関車は当初性能面における信頼性が低く、そのため蒸気機関車が日本では昭和後期まで使用されていたが、以上のように欠点が多いため、国鉄は「動力近代化計画」として1960年(昭和35年)の会計年度より蒸気機関車を15年で全廃する計画を立て、電化やディーゼル化を推進した。そして、梅小路蒸気機関車館に保存された車両を除き、予定通り1975年(昭和50年)の年度末となる1976年(昭和51年)3月に完了させた。
PDRの上位25
[編集] 蒸気機関車の分類
[編集] 駆動方式による分類
- ピストン式
- 蒸気の圧力をシリンダーに導きピストンを作動させることで往復運動に変換し、その往復運動で動輪を駆動する方式で、広く普及した。
- タービン式
- 蒸気の圧力を蒸気タービンに導き、回転運動に直接変換する方式である。タービンで発生した回転運動はギアやロッドにより間接的に動輪に伝達される。
- 発電式
- 車上のボイラーで発生させた蒸気を、蒸気タービンや多気筒式蒸気エンジンに導き電力を発生させ、電気モーターにより駆動する方式である。アメリカなどに存在したが、試作段階にとどまった。一見するとディーゼル機関車のようで、とうてい蒸気機関車には見えないものが存在する。
[編集] 動力伝達方式での分類
- ロッド式
- ピストンの往復運動をロッドで直接的に動輪に伝達する方式。シリンダーとメインロッドと動輪そのものがレシプロエンジンを構成するが、通常はレシプロと言う用語を用いない。ほとんどの蒸気機関車がこの方式を採用している。
- 歯車式
- ピストンの往復運動を回転運動に変換し、その回転運動を歯車により間接的に動輪に伝達する方式、もしくはピストンの往復運動をクランクシャフトで回転運動に変え、シャフトとギアで動輪に伝達する方式。詳しくはギアードロコの項を参照。
- チェーン式
- ピストンの往復運動を回転運動に変換し、その回転運動をチェーンにより間接的に動輪に伝達する方式。自転車と似た原理である。ロッドを動輪に接続する必要がないため構造が簡便であるが、信頼性やチェーンの耐久性が低く普及しなかった。後述するバヴァリア号や、アメリカの森林鉄道でハンドメイドされた一部の車両がこの方式を採用している。
- 摩擦式
- 動輪を上下2段に付け、上段の動輪をシリンダーで駆動し、下段の無動力の車輪を摩擦により間接的に駆動する方式。歯車比の理論を当てはめて考案されたもので、速度を上げる場合は上段を大きく、下段を小さくし、牽引力を上げる場合には上段を小さく、下段を大きくするという物であるが、実際には成果を上げず摩擦機構の問題も多かったため実用化しなかった。主な形式は1876年ドイツのエルザス・ロートリンゲン鉄道向けに製造されたものであり、D7形451号「ファゾルト」という形式を与えられ1906年まで在籍していた。上段と下段の車輪径の比率は1:3で、牽引力を重視したため最高時速はわずか時速10kmだった。後に似た方式をアメリカのホールマンとユージーン・フォンテインがそれぞれ考案している。
- 独立駆動式
- V字型の蒸気エンジン1基を1つの動輪に直結させ、直接動輪を回転させる方式。各動輪間は連結されておらず、ロッド式のような重い可動部を持たない。静粛性や高速走行に優れる反面、引き出し時などに空転が起こりやすい欠点があった。ヘンシェルが製造したドイツ国鉄19.10形蒸気機関車が代表例であるが、実用化された時期が遅く、ディーゼル機関車の台頭期と重なったこともあって量産されず、短期間の運行のみに終わった。
[編集] エネルギー源による分類
- 化学燃料(有機燃料)
- 石炭やコークス、重油などの化石燃料、その他薪やガスなどの炭素資源を燃焼させることにより熱エネルギーを発生させ、これによりボイラー内の水を沸騰させて蒸気を得る方式である。蒸気機関車のほとんどがこの方式で、燃料には主に石炭、コークスが用いられる。旧国鉄の制式機では蒸気機関車時代の後期に補助重油タンクを装備し、勾配区間などパワーが必要な際に重油を投入したほか、C59形の127号機が重油のみを燃料とする重油専燃機に改造されたことで知られている。日本国外ではドイツ連邦鉄道がこの方式に積極的であったことが知られ、世界的には重油専燃機がある程度普及した。タイなどの東南アジア各国では薪が多く使われた。変わった例としては、東南アジアの製糖工場で、砂糖の原料となるサトウキビの絞りか す(バガス)を機関車の燃料として用いた例が多くある。
- 圧力の外部供給
- ボイラーを有さず、外部から熱水とともに高圧蒸気を供給し、それをタンク内に蓄圧してピストンを駆動する方式を無火機関車(ファイアレス)と呼ぶ。一般的に蓄圧に2 - 3時間以上を要するにもかかわらず、その走行可能距離は著しく短いが、火を使わず煤煙なども一切出さないため、火気厳禁の産業施設などで使用された。また、高圧蒸気と熱水の代わりに圧搾空気を用いた圧搾空気機関車や、走行可能な距離が短いという欠点を改善するために、アンモニアや苛性ソーダなどの化学薬品を使用する車両も製作された。日本では無火機関車が1963年まで八幡製鐵構内で数多く使われていたほか、浜川崎駅から分岐するシェル石油(現在の昭和シェル石油)の精油所引き込み線で1960年代まで使用されていたことが知られている。生まれながらの無火機関車ではないが、群馬県の「ホテルSL」(元・SLホテル)や鳥取県の若桜鉄道では静態保存されていた蒸気機関車をコンプレッサーを使って短い距離を走行させる というユニークな試みを行っている。日本国外でも観光用としての活動が伝えられており(ドイツのマンハイムの産業博物館など)、そのほか現在も南米などで商業用として稼動している可能性がある。
- 電力
- 架線から運転台天井部に取り付けたパンタグラフで集電し、その電気エネルギーでボイラー内の水を沸騰させて蒸気を得るという機関車がスイスに存在した。これはSBB(スイス国鉄)のE3/3形と呼ばれる軸配置0-6-0の入れ替え用タンク機関車であり、第二次世界大戦中の石炭の入手難に対応すべく2両が試作されたものである。この形式の場合、電気を動力源(熱源)としているが、電動機や電磁石など、電気のみによって駆動力を得ているわけではなく、電力はあくまで熱源としてボイラーの加熱にのみ用いられ、最終的には蒸気で動輪を駆動するため、電気機関車ではなく蒸気機関車に分類される。
- 原子力
- 搭載した原子炉で蒸気を発生させ、蒸気タービンで発電しモーターを駆動する方式で、発電式機関車の一種である。主に1950年代と1970年代に計画されたが、重量が極端に大きくなる、放射能漏れの危険性があるなどの問題により、実現した例はなかった。
- アメリカ
- GE製のガスタービン機関車を改造する予定であった。
- ソ連
- TE-3型ディーゼル機関車を改造する予定であり、1970年代には超広軌の巨大な機関車が計画された。
- 旧西ドイツ
- V200型ディーゼル機関車を2両連結に改造する予定であった。
- 日本
- 昭和30年代に鉄道技術研究所により、AH101という形式が計画された(形式のAはAtomicの略であると思われる)。
- ハイブリッド
- 蒸気機関とディーゼル機関を両方搭載した、ハイブリッド方式の機関車が試作された。1926年にイギリスのキトソン社がスティル社のディーゼルエンジンを使用してロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道向けに試作機が製造され、1934年まで試験が行われたが、ボイラーなどに問題が多く実用化しなかった。
[編集] ボイラーによる分類
- 煙管式
- 円筒形の水缶に、缶を貫通する多数の細管による伝熱部を設け、火室で発生した燃焼ガスをこの細管に誘導する。燃焼ガスの熱エネルギーによって水缶内に湛えられた水を沸騰させることで、高温高圧の蒸気を得る。そのバレル部分の構造の複雑さなどから高圧化が難しく、また清掃にも手間がかかる。鉄道車両では一般に10気圧から20気圧程度の範囲のボイラー圧力で使用される。以下の二種に大別される。
-
- 飽和式
- ボイラーで発生させた蒸気(飽和蒸気)を直接シリンダーへ導く方式。蒸気の膨張により温度が下がると水滴が凝結した。蒸気の持つエネルギーが少なく、効率もよくない。
- 過熱式
- ボイラーで発生させた蒸気を細いパイプ(過熱管)で煙管内に導き再度加熱してできた過熱蒸気を使用する方式。飽和式に比べ効率がよく、蒸気機関車の出力向上や水・石炭の消費量の節約に大きく貢献した。理論上での提案はされていたが、高温の蒸気を使用するため、シリンダー潤滑油が改良されるまで実用化できなかった。
- 水管式
- 火室に伝熱管を設け、火室で発生した熱エネルギーを直接この管に伝え、その中に通された水を沸騰させることで高温高圧の蒸気を得る。煙管式と比較して熱効率や始動性に優れ、高圧化が容易という特徴があり、鉄道車両では100気圧程度のボイラー圧力を実現したものも存在した。ただし煙管式と比較して保持する水量が少なく応答が鋭敏な分、適切な出力を安定的に得るには燃料や水の供給、燃焼の制御を高精度に行う必要があり、また振動に弱く高圧がかかる水管や補機の保守が難しいという問題を抱えている。このため、大きな振動が発生するレシプロ式の駆動系を備える蒸気機関車では、一般に普及することはなかった[7]。
[編集] どのようにうまく水の臭気を取り除くん
9E">火室による分類
- 狭火室
- 火室の幅が線路の幅より狭く動輪間の台枠内にそのまま収めたもの。台枠設計をシンプルにできるというメリットがある。車輪のバックゲージの問題から台枠の幅が狭くなる狭軌で、しかも使用炭の品質も世界的な水準から見て良好とは言い難かった日本では、大型機関車にこの方式を採用すると十分な火格子面積=火力が確保出来ず、高出力化の障害となった。それに対し、標準軌間を採用し、高発熱量かつ灰分の少ない良質炭の入手が容易であったイギリス、特に傑出した品質で知られたカーディフ炭を産出するウェールズ地方が沿線にあったグレート・ウェスタン鉄道などでは、狭火室でも他鉄道における広火室に匹敵するかこれを凌駕する性能が得られたことから、この方式を蒸気機関車時代の最後まで採用している。
- 広火室
- 火室の幅を線路の幅より広くした、近代の大型機では一般的な方式である。広い火格子面積を確保出来るため、特に低品質炭を常用せざるを得ない各国・各鉄道で蒸気機関車の出力向上に大きく貢献した。小車輪径の貨物型では動輪や通常の台枠の上にそのまま広火室を配置するものもあったが、大きな動輪を持つ高速用機関車では、動輪の後ろで台枠を拡幅してこれを支える従台車を置き、そこに広火室を配置することになるため、狭火室よりも全長が長くなる。また、列車牽き出し時の後方への重心移動により、本来は動輪にかかるべき荷重が従輪にかかるようになるため、特に列車出発時に空転が生じやすくなるという問題も抱える。
- 燃焼室の設置
- 蒸気機関車の燃料として最も望ましい瀝青炭の燃焼時の炎は長く、火室内では収まりきらないので、火室前方に副室を設けこれを燃焼室と呼んだ。燃焼室を設けることにより高温の炎からの輻射熱を十分に吸収でき、効率が向上した。また、燃焼時間が長くなったことにより煤煙の発生が減少し、煙管の詰まりも防がれた。日本の国鉄では8200形製造時に導入のチャンスがあり、またメーカー側も推奨していたにもかかわらず、ドイツ流の長煙管設計に固執したため採用が著しく遅れ、戦時設計で極限性能発揮が求められたD52形でようやく採用された。外見から燃焼室の有無を知るには火室の前方にも洗口栓があるかどうかを調べればよい。
- 特殊な火室
-
- ベルペヤ火室
- ベルギーの鉄道技術者、A・ベルペヤが考案した火室形状で、内火室と外火室の形状を相似形にしているため、内火室を支えるステイの形状を単純にでき、缶水の循環が良く水垢の付着が少ないという利点を持つ。上部が角張った形状が特徴であるが、円筒形の煙管部との接合工作が難しいという欠点がある。
- ウーテン火室
- 広火室の一種で、外見上は下部が大きく広がっているのが特徴である。泥炭など質の悪い石炭を燃焼させるためにアメリカで考案されたもので、日本では日本鉄道が質の悪い常磐炭を使用するために、一部の形式で採用した。
[編集] 弁装置による分類
ワルシャート式弁装置の動作機構アニメーション。赤色は吸気を、青色は排気を表す。
日本の国有鉄道に在籍した蒸気機関車の弁装置の種類は次の通りであった。
- スチーブンソン式(基本形、ハウ形、アメリカ形):初期の蒸気機関車の標準型として広く用いられた。弁室は、基本形ではシリンダの内側に置かれるが、アメリカ形では上部に置かれる。
- アラン式(トリック式)
- ジョイ式(基本形、ウェッブ形)
- ベーカー式(深川形)
- 宇佐美式
- マーシャル式(ヴィンターツール形、コッペル形)
- グレズリー式:3シリンダ式機関車の中央シリンダ用に使用される方式で、左右の弁装置の動きを合成することで、中央シリンダの弁装置を作動させる。
- ワルシャート式(ヘルムホルツ形、ホイジンガー形):近代の大型蒸気機関車のほとんどがこの方式で、動作機構が全て動輪の外側にあるため、整備性が良い。
[編集] 気筒数による分類
- 1気筒(単気筒)
- 蒸気機関車の黎明期に存在した。また、1857年、ニールソンが1気筒の小型機を製造し、多くがスコットランドの炭鉱や製鉄所で使用された。
- 2気筒
- ごく一般的な方式である。2組の気筒(シリンダ)があるため、より円滑な動作が可能である。ロッドが死点に位置して、起動不能となるのを防ぐため、左右の位相は90°ずらされている。日本の国有鉄道においては右側先行が原則であったが、9600形など左側先行の例外も少数ながら存在した。
- ギアードロコではV形配置のものも見られる。
- 3気筒・4気筒
- 国鉄ではC52形・C53形が3気筒である。頻繁な点検や注油などを要する複雑な弁装置を車輪間に設置するのを回避する目的で、左右の弁装置の作用を合成、あるいはロッカーアームなどで位相変換して車輪間のシリンダーへの蒸気圧供給を制御させる、特別な弁装置を搭載するケースが多い。そのため動軸を複雑かつ工作精度の維持の難しいクランク軸とする必要があるなど、概して2気筒機関車に比べ構造が複雑で整備性が悪い。特に狭軌の日本では運用に労が多く、設計の欠陥も手伝ってC53形で保守に特に難渋したことから、以後の制式機では採用されなかった。
- その一方で、これらの方式はメインロッドを3本あるいは4本とすることで各シリンダーの位相をそれぞれ120°あるいは90°ずつずらし、ハンマー・ブロー現象を抑えることができ、またシリンダーの排気も1/3ないしは1/4周期で順番に行われるため、ボイラー煙管内の強制通風が均等かつ円滑に行われて燃焼効率が改善される、といった利点がある[8]。もっとも日本のC53形はこの機構に対する十分な理解のないままに設計が行われた結果、発車時のロッドの位置によっては発車不能になることがあり、問題視された。
- これに対し、標準軌間を採用する各国、特にフランス・ドイツ・イギリスの3カ国では、燃費の改善や強力化の手段[9]として3・4気筒機が積極的に導入されている。
- ギアードロコでは、ボイラー脇にシリンダーを垂直に並べた、インライン(直列)配置が一般的である。
[編集] 使用済み蒸気による分類
- 単式
- ボイラーで発生させた蒸気を一度だけ使用するのが単式で、ごく一般的な方式である。
- 複式(2段膨張式)
- 単式に対して、一度使用した蒸気を、もう一度別のシリンダに送り込んで再使用するのが複式である。一度使用した蒸気は圧力が下がるので、1次側(高圧)のシリンダより2次側(低圧)のシリンダの方が径が大きくなる。スイス人のアナトール・マレーが1874年に特許を取得し、1876年に実用化に成功した。
- 複式には種々の方式があり、左右のシリンダをそれぞれ高圧・低圧とした2シリンダ式、左右のシリンダそれぞれに高圧・低圧のシリンダを装備した4シリンダ式、高圧・低圧の2組の走り装置を有するマレー式(後述)などがある。日本においては、山陽鉄道が4シリンダ複式(ボークレイン複式)を積極的に導入したほか、明治時代末期に国有鉄道がマレー式を一時大量輸入した程度で、他にはほとんど普及しなかったが、1893年に官設鉄道神戸工場で製作された国産第1号機関車(860形)が2シリンダ複式(ワースデル複式)であったのは特筆される。
- 復水式
- シリンダーで使用した蒸気を回収し、コンデンサー(凝縮器)で水に戻して再利用する方式。水の便の悪い地域で用いられる。
[編集] 車軸配置による分類
詳細は「車軸配置」を参照
蒸気機関車にとって、動輪と従輪の配置は非常に重要な要素である。これによって、機関車の用途が決まってしまうといっても過言ではない。動輪径を大きくすれば同一回転速度で運転速度を高くできるが、機関車全体が一定の長さに収まるようにするには、動軸数を減らすことになり、牽引力が低下する。そのため、高速が要求される旅客列車牽引向けということになる。逆に動輪数を増やせば牽引力は増すが、その分動輪径は小さくせざるを得なくなり、速度性能が犠牲になることになるため、貨物列車牽引や急勾配区間向けということになる。
従輪については、機関車重量の一部を負担するばかりでなく、先従輪には曲線通過時に、動輪をスムーズに導く機能があり、高速を要求される旅客用機関車では、2軸としたボギー台車が装備されることが多い。一方で、貨物用機関車では動輪上重量を増して粘着力を高めるため従輪の数は少なく、高速も要求されないため、より簡便な構造の1軸先台車が採用されることが多い。
[編集] 車体構成による分類
- タンク式(タンク機関車)
- 石炭および水を機関車本体に搭載する方式、主に小型機が多いが、4100形、4110形、E10形など急勾配線専用の大型機にも採用例がある。小回りが利くなど長所があるが、長距離運転ができないなどの短所がある。
- テンダー式(テンダー機関車)
- 石炭や水をテンダー(炭水車)に積載し、機関車本体に牽引させる方式。通常、機関車本体と炭水車を分離して運用することはないが、検査時は切り離しが可能である。長距離運転ができるなど、長所があるが、一部の種類を除いてバック運転や、小回りが利かないなどの短所がある。
- キャブ・フォワード型
- テンダー式機関車のうち、機関車本体の前後を逆にしたもの。キャブ(運転室)を最前部に設けることにより機関士は煙害から免れることが出来、また良好な前方視界を得た。ドイツや、アメリカのカリフォルニア州の山岳地帯のトンネルが多い線区で使用された。
- キャメルバック型(キャブ・ミドルワード型)
- テンダー式機関車のうち、機関車の中央に運転台が位置しているもの。詳細はキャメルバック式蒸気機関車の項を参照。
[編集] 関節式機関車
詳細は「関節式機関車」を参照
1両の機関車に2両分以上の走り装置を装備し、出力強化や曲線通過の容易化を図ったもの。
- マレー式
- ボイラーの下に2組の走り装置を設けた方式。後部動力台車はボイラーに固定されていて、高圧蒸気の供給を受けてシリンダーを駆動し、その排気を左右に首を振れる前部動力台車に送って径の大きな低圧シリンダーを再度駆動する複式機関車である。大型機が急曲線を通れるようにし、効率も上昇させることができる方式である。なお、出発時はインターセプト・バルブと呼ばれる弁を操作することで前部台車にも高圧蒸気を供給する。複式機関車の実用化に成功したアナトール・マレーが考案し1884年に特許を取得した。最初の機関車は1887年にベルギーで製造され、1889年のパリ万国博覧会に出品された0-4+4-0形機である。
- 構造が複雑で取り扱いが煩雑であり、高速性能では通常型機関車に見劣りするが、機構上空転発生が抑止されるという大きなメリットがある。日本では9750形・9800形・9850形(いずれも0-6+6-0)が存在したが、短命であった。狭義の「マレー」はマレー式機関車の中でも0-6+6-0の動輪配置のもののみを指す。日本では0-4+4-0配置としてタンク式の4500形や4510形、あるいはテンダー式の9020形が存在したが、この内9020形はマレーに満たないと言う意味で「ベビーマレー」と呼んだ。実際には製造されなかったが、ソ連では2-4-4-2+2-8-8-2+2-4-4-2という超大型のマレーが5フィートゲージ用に計画され、6000馬力を発揮する予定であった。このマレーはフランコ・クロスティ式という特殊なボイラーを採用していた。
- 単式膨張型関節式(単式マレー式)
- 日本にはない形式で、simple expansion articulated engine の訳語である。本来のマレー式は複式であるがこれは前部・後部のシリンダーが同径で、同じ圧力の高圧蒸気が供給される単式となっている。1910年代後半になって、関節式機関車の設計・製造・保守において問題となる自在継手式蒸気管の蒸気漏れの問題がある程度解消され、マレー式では低圧蒸気が供給されていた前部シリンダーへ後部シリンダーと同じ高圧蒸気が常時供給可能となったことで実現を見た。アメリカのペンシルバニア鉄道で1919年に開発され、以後、アメリカで製造されたビッグボーイなどの超大型関節機関車はすべてこの方式を採用している。厳密にはこれらをマレー式と呼ぶのは誤りであるが、便宜上「単式マレー式」(Simple Mallet) と称されることがある。これらはほとんどが2組の走り装置を持つものであるが、中には炭水車を含め3組の走り装置を持つものもエリー鉄道向けなど、わずかながら存在した。また、実際には製造されなかったが、4組、5組の走り装置を持つものも計画された。
- なお、アメリカで最後までディーゼル化の波に抗し続けたノーフォーク&ウェスタン鉄道は、1950年代に入ってからも蒸気機関車の改良を続け、マレー式についてはトルクの必要な低速度域では単式、時速25km/h以上では複式、とそれぞれの特性を最大限生かして高性能を実現する機構を自社で独自開発し、実に1958年まで新造と在来車の改造により、この機構をマレー式の各形式に導入していた。
- ガーラット式
- 2組の走り装置を別々の車体に設け、その両車の間に跨ってボイラーを搭載した主台枠が首振り構造で載る方式。イギリスのハーバート・ウィリアム・ガーラット (Herbert William Garrat) により、列車砲をヒントとして1907年に考案され、ベイヤー・ピーコック社の協力で実用化された。大型機に多く見られたが、その最初の適用例となったタスマニア島政府鉄道K1形は610mm軌間の4+4配置であり、小型機にもこのタイプのものが少なからず存在した。走り装置上に水タンクが搭載され、その空積に関わらず常に死重となる炭水車が基本的に不要(しかも特に軸重制限の厳しい線区への入線時には、走り装置上の水タンクを空にして別途炭水車を連結することで軸重を標準より軽くすることも可能であった)、燃料・水の積載量が多く長距離を走行できる、ボイラー下が空間となるため、缶胴部や火室設計の自由度が高い、急曲線や勾配に強く高速化もマレー式以上に容易、車輪数が多くすることで1軸あたりの軸重を相対的に軽く� ��き、それでいて容易に牽引力の強化が可能となる、など様々な利点があり、インド、南アフリカなど英連邦所属の各国で多く採用された。もっとも、その勃興期が第一次世界大戦後であったため、日本では採用されなかった。計画だけに終わったが、ガーラット式の足回りをマレー式相当とする、ガーラット・マレー式機関車も提案されていた。なお、ガーラットは「ガラット」や「ギャラット」などと表記されることもある。
- フェアリー式
- 2つのボイラーを背中合わせに繋ぎ、その下に2組の走り装置を設けた方式。イギリスのロバート・F・フェアリー (Robert F.Fairlie) により1863年に考案され、イギリスやその影響下にあった国の軽便鉄道で使用された。2台の通常型タンク機関車を背中合わせに連結した形をしており、後述する双合式と似ている。急カーブに強い上、方向転換の必要がないという利点があったが、ボイラーが運転台の中央を通っているため運転上不便であるという大きな欠点があったため、他の間接式に比べると普及しなかった。日本では鉄道連隊によりアメリカ製の1両のみ使用された。
- メイヤー式
- マレー式と同じくボイラーの下に2組の走り装置を設けた方式。後部動力台車がボイラーに固定されておらず、前後の動力台車がそれぞれ完全に独立しており、シリンダーが中央に寄っているのがマレー式と異なる点である。フランスのジーン・ジャック・メイヤーにより。1861年に考案され、主にヨーロッパの地方鉄道で使用されていた。1894年にイギリスのキトソン社により改良されキトソン・メイヤー式となる。こちらは南米やアフリカで使用されたが、地味な存在のまま終わった。また、バグナル社により改良された形式も存在した。
- マッファイ式
- ドイツのJ.A.マッファイ社により、1851年のゼメリング・コンテストのために考案された方式。同社が製作したバヴァリア号に採用された。軸配置は4-4-6で全ての車輪が同径、前方の台車はシリンダーにより駆動され、そこから後部の台車へチェーンで動力を伝達する。チェーンは緩みがあるのでカーブに対応できるという理由で「コンテストで最も優れている」と賞を獲得したが、後に信頼性やチェーンの耐久性が低いことが明らかになり、実用化には至らなかった。
- ヴィーナー・ノイシュタット式
- ドイツのヴィーナー・ノイシュタット社により、1851年のゼメリング・コンテストのために考案された方式。同社が製作したノイシュタット号に採用された。ボイラーの下に2組の走り装置を設けた方式で、後のメイヤー式の原型となる。車輪の間に火室が出っ張っており台車の動きが制限されるのが欠点で、さらにヴィーナー・ノイシュタット社は関節式機関車用の特殊な部品を製作するのが初めてであったため、粗悪な部品が出来上がってしまい、これが問題視されて実用化に至らなかった。
- コッケリル式
- ベルギーのコッケリル社により、1851年のゼメリング・コンテストのために考案された方式。同社が製作したゼライング号に採用された。2つのボイラーを背中合わせに繋いだ構造で、後のフェアリー式の原型となる。その後似た方式がヨーロッパで何度か考案されたが、タンクを乗せるスペースがないのが欠点であり実用化に至らなかった。
- ドゥ・ブスケ式
- フランスの北部鉄道 (NORD) のみで使用された。
- ゴルウェ式
- アフリカで使用された。
- 双合式(ツヴァイリングロクス、Zwillingsloks)
- 2両の通常型タンク式蒸気機関車を背中合わせに連結した形式。転車台の設置が困難で、軸重制限が厳しく、かつ一定の牽引力が要求される野戦軽便鉄道用としてドイツで考案された。ドイツ陸軍の影響下にあった日本陸軍も導入し、鉄道連隊にはA/B形と呼ばれる双合式機関車が400両あまり在籍していた。
[編集] 日本での歴史
- 日本の蒸気機関車史
- 軽便鉄道・産業鉄道
- 鉄道省、そして規模の大きな私鉄向けの蒸気機関車は規格化・国産化された。しかし資本力の小さな鉄道向けの小型蒸気機関車までは国は関与しなかった。軽便鉄道、産業鉄道に向けては主にドイツ、コッペル社の小型蒸気機関車が廉価で高品質であったこともあり、第一次世界大戦までは大量に輸入され続けた。
- その後は日本車輌製造、雨宮製作所、あるいは深川造船所などのメーカーによって国産化が進み、第二次世界大戦期には立山重工業などの手による規格化設計機関車の量産も実施された。
- 軍用鉄道
[編集] 稼動している蒸気機関車
[編集] 日本国外の歴史
[編集] 蒸気機関車の発明・開発に関わった主要な人物
- リチャード・トレビシック
- 1804年にイギリスで蒸気機関車を走行させる。鉄道史上初とされている。
- ジョージ・スチーブンソン
- 公共鉄道で走行する最初の蒸気機関車「ロコモーション号」を制作。さらに「ロケット号」で蒸気機関車の基本設計を確立した。
- ロバート・スチーブンソン
- ジョージ・スチーブンソンの息子。父とともに蒸気機関車の実用運転に貢献。
- マーク・イザムバード・ブルネル
- シールド工法でロンドンの地下鉄を建設した。
- イザムバード・キングダム・ブルネル
- 広軌のグレートウエスタン鉄道を建設した。
- マシュー・マレー
- 1812年、軌条の側面がラックレールの軌道を走る機関車サラマンカ号を走らせた。
- ナイジェル・グレズリー
- グレズリー式連動弁装置を開発。またA3形や蒸気機関車の速度記録を持つマラード号を設計した。
- アンドレ・シャプロン
- キルシャップの開発やボイラの内的流線化等の、蒸気機関車の科学的改良を初めて行った。後にリビオ・ダンテ・ポルタら蒸気機関車技術者に多大な影響を与えた。
[編集] 代表的な形式
[編集] 日本の国有鉄道・JR
国鉄・JRの車両形式の一覧#蒸気機関車を参照。
[編集] 東武鉄道
[編集] イギリス
[編集] ドイツ
[編集] フランス
[編集] アメリカ合衆国
[編集] 5AT先進技術蒸気機関車
現在イギリスでは先進技術を導入した蒸気機関車の建造計画が進行中である。
[編集] 関連項目
[編集] 蒸気機関車の形式・車両
[編集] 蒸気機関車の機構
[編集] 蒸気機関車に関係する文化および登場する作品
- ^ D51形に先立ち1925年にアメリカから輸入された単式3シリンダー機の8200形(C52形)では手焚きのままで火格子面積を3.8m²としたが、これは当時の日本人の一般的な体格・体力では投炭を担当する機関助士に過大な負担を強いたため、後の改造で火格子面積を縮小している。
- ^ 1925年にロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道 (LNER) との間で同社最新のクラスA1(軸配置2C1、過熱式単式3気筒、広火室)と同条件で実施された比較試験では、狭火室でコンパクトなサイズのキャッスル型が出力・燃費の双方で勝利を収めている。
- ^ 『日本の鉄道史セミナー』p.136
- ^ 第二次世界大戦中、南方戦線で日本軍が蒸気機関車を運用していた際に、鉄道車両に関する知識のない自動車技師出身の整備兵が内燃機関と同じ精度で蒸気機関車の各部品の整備・組み立てを行ったところ全く動作せず、精度を落として(各可動部に意図的に遊びを設けて)再組み立てしてようやく動作した、という逸話が残っている。
- ^ a b 電車・電気機関車は制御器の接点の調整に熟練を要し、上手くあっていないとノッチ進段時の衝動が大きくなったりするほか、酷いときには高速度遮断機が作動して運転不可能になる事例もあった。また気動車・ディーゼル機関車はディーゼルエンジンそのものが蒸気機関に比べてはるかに複雑で部品点数が多く、やはり整備には熟練と専門知識を要した。これらが劇的に解消されるのは、電気車ではVVVFインバータ制御が一般化し、内燃機関車では大型高速ディーゼル機関のメンテナンスフリー化が進んでからである。
- ^ 列車の速度を10%下げると消費する石炭量を20%減らすことができる。--『日本の鉄道史セミナー』p.87
- ^ 振動の問題の少ない船舶では軍艦を中心に1910年代以降急速に普及した。そのため、船舶用として安定した性能を発揮していた機種を機関車用として転用することが再三に渡って試みられた。日本でも、帝国海軍の艦船用艦本式ボイラーの原型となった宮原式水管缶を機関車に搭載する事例が、1910年代中盤にいくつか存在した。しかし、レシプロ駆動系を備える鉄道車両用動力源としての水管式ボイラーは、コンパクト化が強く求められ、また軽負荷でもあった蒸気動車用を除くと、この宮原式の事例を含むほぼ全てが量産・実用段階に到達せずに終わっている。
- ^ 特に4気筒の場合は左右の動輪を挟んだシリンダーを2基ずつペアとした複式として設計することで、蒸気を有効に利用出来る。そのため、ドイツ国鉄18.6形のようにボイラー性能さえ十分ならば、自重やサイズが1ランク上の単式2気筒機(01形)に匹敵するかこれを上回る性能を実現することも不可能ではない。
- ^ 例えば車両限界の制約が大きく単式のまま左右のシリンダーを大直径とすると各駅のホームに抵触する恐れがあったイギリスでは単式3・4気筒機の導入例が多く、自国の石炭資源産出量やその品質などの問題から特に燃費に神経質であったフランスでは複雑精緻な複式4気筒機が積極的に導入されている。
0 コメント:
コメントを投稿